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家プロジェクト

角屋  角屋はおよそ200年ほど前に建てられて最近まで住まわれていた本村でも大型の住居である。無住になったものを買い上げられて外観は建築当時に近い形に復元してされている。居住空間は完全に剥がされてメイン作品の宮島達男「Sea of Time ’98」になっている。本来床があった部分は深さ数センチほどの水面がはられ、その水中には0から9までカウントアップする大型の7セグメントLEDが沢山ちりばめられている。それぞれのLEDはプロジェクト参加住民よってそれぞれが自分の好みによって設定された速度でカウントをしている。それらがばらばらの速度で窓一つない暗い室内で時を刻んでいくのである。あるものは数字が見えぬほどの速さで、またあるものは時がとまったようにゆっくりとそれぞれの設定速度で刻まれいく。その時を刻む光の流れこそがこの作品の本質だろうか。
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護王神社  荒れていた社を改築することになり氏子・住民などの賛同協力をとりつけて、信仰の対象である神社そのものを杉本博司が作品にした。一番の特色は拝殿の下に大きな地下の石室と堀らていることだ。地下室と神殿を結ぶ階段が設けられており階段のステップに巨大なガラス製の塊が用いられている。しかしそれらは実際には階段として機能してない、そのガラス部分からもれる光を採光する天窓なのである。またその地下室へ至る真東に設けられた入り口がある。石室から入り口の方向を覗くと四角く切り取られた瀬戸内海の風景。それらの風景や空間、光そのものが作品を構成している。気がつけばそしてそれらを鑑賞する人々の姿自身もアートの一部にされていたのだった。


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南寺  極楽寺や八幡神社がかつて軒を連ねていた付近は長らく空地となっていた。そこに新たに安藤忠雄よる木造建築が建てられたのがここ南寺である。この建物には窓が一切なくその室内は光のない暗黒空間になっている。入館したと同時に鑑賞者は完全な漆黒の闇に放り出される。そして目を凝らして待つこと数分、やがてその暗がりに目がなれてくると前方にほんの僅かであるが光を感じられる。それを頼りに前方の壁までゆっくりとすり足で歩いていく。そのもどかしさと面白さ、出口が見つけられないことに一瞬不安さえ感じる。壁をみつけてそのまま壁伝いに導かれて出口へ、そして光の世界へ戻ってこれる。常日頃光を意識し感じるはない光自体をアートにしたジェームズ・タレルの作品である。
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現代アートの試みである家プロジェクトを体験してアートの持つ可能性と力を実感することができた。通常伝統的絵画や彫刻などは、例え二次元・三次元に関わらず額装であったり、美術館や広場などのスペースという一つの枠組みに収まりつつそのなかで鑑賞されるものである。その枠をこえて建物を丸ごと包むようなクリスト&ジャンヌ=クロードのような場合でさえもそれはその包まれた空間全体の枠を越えることはない。ところが家プロジェクトの場合はそれら既存のアートの範疇とちょっと違うような気がした。これら家プロジェクトは体験型であり、また建物やその空間、時間、光そのものまでもの作品の一部であるということがいえる。たとえば角屋の場合ここの場所に存在しえる角屋自体が作品でありそれは本村地区や直島全体の空間をも包括しているのである。また時間軸もしかり。あの場所で大型の7セグメントLEDが刻む時間を体験した鑑賞者がその記憶を有する限り、時間としての概念であの作品と繋がり続けいるように感じられからである。アートはもっと町や外に出て行き、そのなかで自然な形で共生できるのではないだろうか。空間と対峙することなく既存の社会の枠組みのなかで力を発揮することが出来るような可能性を感じた。アートが社会に出来ること、もっともっと身近に感じられる取り組みがなされてもいいのではないだろうか。そういう意味でここ直島での家プロジェクトはすばらしい作品であると思った。

西山遊野
by kac-web | 2007-03-28 01:48 | KAC研修・取材旅行